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12月24日(土) 増田師範指導今年度最終日練習記 by
某肉体年齢詐称企画軍団一人団長SNさん
至誠塾のホームページでは、実に多くの興味深い記述が果たされている。
閲覧するたびに、諸先輩の見る目の確かさ、はたまた文才の華やかならんことに驚嘆しつつ楽しませていただいてきた私である。
このたび某氏のご指示により、筆を取らせていただく、否ワープロのキーをたたかせていただくことに合いなった。
そこで、先日12月24日に行われた増田師範ご指導による今年度最後の練習日及びその後の忘年会について、
つまびらかにさせていただきたい。
忘年会に参加するために、いつものように自転車では行けないことを思いだした私はうっかり自宅を出る時間をまちがえてしまい、
稽古場所に到着した頃は7時近くになっていた。なぜ忘年会の時は自転車で行けない?
知れた事、たとえ自転車とは言え、酔っぱらい運転では大阪支部某敏腕デカNS先輩に逮捕されてしまうからだ。
(事実は単に以前練習後の飲み会の帰り道でこけてしまい、こりゃーいかん、
武術家は飲んだら乗るな、であるぞと自らにきつく戒めることにしたからである)
すでに、公園の草むらのあちこちに、立禅によって大地に杭打たれた人影ができあがっている。
真っ暗な冬の晩の大阪城公園、人通りがほとんどないのでそれほど目立たないのだが、
たまに横を通る人たちはやっぱり怪訝な風を感じるものらしい。
ヒソヒソと何かしらささやきながら目線を合わさないように通り過ぎていってくれる。
あぁ、太気拳、世に知れ渡りとは言え、知名度ではまだまだなのか。
いや、ひそやかなる場所にこそ真の強さが存在するのだと意を固めることとする。
やがて増田師範の「そろそろ始めましょうか。ははっ、ゆっくり集まってください、ははっ。」のいつもの集合文句によって稽古が始まった。
この「ははっ」はなぜか増田師範の口から稽古の間、時々発せられる。
感嘆詞のような、笑声のような、合いの手のような、慎み深きお言葉のひとつである。
本当に強い人は常に謙虚なものだ、自らの強さを覆い隠すために、強者は時としておどけながら自らの強さをベールで包んでしまう。
本日の稽古は寒さ対策もかねて歩法から始まった。
目に見えないゴムを両手で掴みながら延ばしながら縮めながら、さながら尺取虫が枝を這うがごとく歩を進めるのだ。
2歩ずつから始め、3歩4歩、やがて膝を抜く感覚を磨きながらより遠く、
地を縮めるかのごとき感覚を養えるようになるまで延々と続けるのだ。単純な稽古にみえて実に難しい。
自分の体を意のままに扱うということがどれほど難しいことなのか、この稽古でいつも思い知らされる。
と、この歩法の稽古を終了させた後、何といきなりの2人稽古の開始だ。
我が同期の太気拳士、MK氏によれば、どうもあの11月の合宿で伝説のビデオを見て以来、2人稽古が多くなったようだが、
かなり皆激しい目の稽古志向が最近の至誠塾の流行であるものらしい、とのこと。
強者への道を目指すわれわれには、至福への誘いと受けとめることとしよう!
掌打合わせから始まる。
2人向かい合って、両手をお互い叩き合わせながらバランスと圧力を鍛える。
これも実に単純な稽古だが、これがまた実に奥が深いのだ。
何を隠そう、小生この稽古にはまりまくり、いっとき日に2千回も、3千回も自宅近くの公園の木を叩いていたことがある。
よく通報されなかったものだと今更ながらこっぱずかしい。
それなりの効果があがったのかと思いきや、しっかり手首を痛めてしまい、いまだに右手首は微かに壊れたマンマ。
木を叩くのは読者の皆さんにもあんまりお勧め申し上げない。
今は全く叩かない。
空を叩くほうがマシである。
高木先生にも質問したが、王郷斉先生はミットすら叩かなかったらしい。
う〜む、摩訶不思議であるが、何となく納得できるような気もする。
そう言えば、ほとんどの太気拳士はウエイトトレーニングをまずやらない。
最近の私の自主稽古でも、重たいものは殆ど持たないように自然になってきたようだ。
掌打合わせが終わると、今度は掌打による攻防の稽古、そして蹴りの受けの稽古である。これを延々と続けると実に消耗する。
ああ、活性酸素が体にみなぎるではないか、いや、そんなことでは未熟者、
激しい稽古を重ねながらも何故か活性酸素など体に介在させる余地を無くするほどの余裕を動きにもたせなければならぬ。
至難の技ではあるが・・・。
蹴りの受けの稽古では思い出す。
大阪支部にて、澤井先生に唯一御前稽古を果たしている屈強の戦士、TD氏の蹴りを受けた時、
何故か右腕がアザだらけになり、なかなかスムーズに柔らかく受けられないものだと落胆したことを。
な〜に、量が質を生む、と高木先生も言われているではないか、めげずに続けるしかない。
さて推手である。
この推手は私にとって鬼門ともいうべき難関だ。いまだにさっぱり分からない。
だんだんに手が重くなってきてくれているとは思うものの、体の傾きをコントロールする感覚がなかなかわからないのだ。
増田師範の動きは変幻自在、前に後ろに右に左に、さっぱり掴めず翻弄されるばかり。
体格ではさほど変わらないはず、いやウエィトはほんの少しだがこちらの方が重いくらいなのに、この手の重さは一体何なんだろう。
そしてこの圧力は何としたことだ!?
瞬間的なスペースのコントロール感覚において全くレベルが違うとしか言いようがない。
稽古が終了した後、増田師範は軽く黒帯の方相手に、掌打合わせの攻防を発展させたライトスパーをされていたが、
一瞬空いたスペースに入り込み立て続けに攻撃の手を進めるスピードには全く目を見張らせられた。
いや、勉強になりました。増田師範、ありがとうございます。
無事今年最後の増田師範指導稽古も終了し、忘年会の会場へと歩を移す。
この飲み会がまたたまらないほど面白いのだ。
大体、年齢も違えば職業も違う、サラリーマンもおれば自営業もいる。社長もいればヒラもいる。
おもいっきりまぜこぜの人たちが、太気拳を要に集まり、太気拳の話のみで思いきり盛り上がり楽しむこの風情、
これは体感する者でないと分からないだろう。
この日も多くの人たちと太気話に花が咲いた。それぞれの稽古内容の話。力試し的な内容でのストーリー。
あ、そうそう、私事で恐縮だが、片手推手の変形版(単純に向き合って右手同士を押し合う、
全くの素人に即席で教えるには便利)をなるたけ大きな人(90キロ、100キロクラスのボディビル系)と対応してみると、
私のような体重(74キロ)でも全くこちらのエリアに入ってこれない。
それどころか、簡単に発力で飛ばすことも可能、というようなお話。
まぁこういった話を嬉しく楽しくやっている訳である。
むろんこの場合の相手は太気拳無経験者である。
相手が至誠塾塾生だと、全く状況は異なるのは当たり前だが・・・。
この片手推手は自分でも本当に不思議で、
体が繋がる繋がらないというのは武術においてとてつもなく大事なことなのであろうと思わせられる。
立禅と這い、揺りを中身濃くきちんと行えば確実に繋がった体を手に入れることができるのだ。
太気拳とは本当に中身の濃い身体運用ソフトだとつくづく認識させられる。
この忘年会ではどうもたらふくビールを飲み過ぎてしまったものらしく(瓶で飲むと量がさっぱりわかりまへんな、困ったこってす)、
ただの酔っぱらいのオッサンになってしまった。
電車で帰るので自転車でこけることはゼロ可能性となりこれはよかったのだが、
電車中で「携帯忘れた、大変や!仕事もでけへん。」などと騒ぎ立てる始末。
優しき塾生の方々が電話連絡を取り合ってくれて、忘年会会場の店の店長の名前まで教えてくれた所で、
「あれ、ちょっと待ってや。あ、ウエストポーチの中にあるわ。」とのたまう私。
車中同乗の塾生全員をずっこけさせてしまった。ああ情けなや・・・。
みなさん、飲み過ぎには注意しましょう。
(完)
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